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have no ideas Vol.2

have no ideas vol.2

【 TRACK MAKING LIVE SET 】

• CRYPTIC •HACHi • tripio

【 HIP HOP LIVE SET 】

• NKB

【 BAND LIVE SET 】

• GOKURAKUKILL • 7Shoes

【DANCE SHOWCASE

• タローとムーニー • OserO+

【 OPEN DJ 】

• Kenjo Watakabe

【 UPSTAIRS DJ 】

• Garden Tamiya(crimie / Garden) • TAKAMIYA • Chie(COLOR) • DJ 小魚 • MUR (東京ドリームランド) • yoshikihanzawa

【 PAINTING LIVE SET 】

• Momoka Kurosawa

【 MUNCHIES FOOD 】

• CB DINERS

【 PHOTOGRAPHER 】

• Rera Naru

EVENT AFTER REPORT

この記事は、2014年1月30日に、渋谷LOUNGE NEOでおこなわれたhave no ideasのイベントレポートである。二部構成になっている。前半がhave no ideasイベントレポートで、後半がHave no ideas!の読解だ。読解とは何か?それは読んでもらえればわかる。まずはイベントレポートからいこう。

・have no ideasイベントレポート

 恵比寿から渋谷へ、線路沿いをぷらぷら歩く。腹が減ったので、大豊記という中華料理屋で餃子と麻婆茄子を食っていたら、集合時間に遅れた。しかし遅れる価値のある餃子であったことだけは記しておこう。23時30分過ぎ、LOUNGE NEOに到着。力の抜けた、形だけ確認するようなリハーサルが好きだ。部活の試合前のアップの雰囲気に似ている。心地よい緊張が共有されているまだ明るいフロアにおいて、出演者だけで乾杯したのは24時ちょい前、つまり開演の直前。24時、ライトが落ちてkenjoのDJが流れるなか、客がだらだら入ってきた。前回に比べて客の入りの勢いはいまいちのようだが、kenjoのDJプレイに浸っていたら気にならなくなる。KenjoのDJは女性的で安心する。髪型のせいかな。上のフロアでもDJ小魚が曲をかけはじめたようだ。上がって座っていたら投げ銭マジックというものを見せてもらえることになった。お金を払えばその場でマジックを披露してくれる。マジシャンはJackBというらしい。名前を覚えているのはおそらくマジックで自己紹介されたからだ。いい方法である。しかもその喋り方がまず、まさにマジシャンのようであった。嘘かほんとかわからない、いかがしい感じ。彼は手相も見ることができるらしく(嘘かほんとかわからないが)、僕は良い指紋だと言われた。引いたカードを当てる、というお決まりの手品を披露してくれた。そのとなりはキャンドル販売。押し花がしてあるものやなんだかわからない複雑な形のろうそくが置いてあり、この蝋燭で、エドガー・アラン・ポーや谷崎潤一郎を読んだり、フィルムノワールなんかを観たら雰囲気がでるだろう。置いてあるだけでも家に女の子を呼べそうな気がする。

 7shoesのライブがはじまった。オーガナイザーでもあるshuのベースはたまらない。ライアンのドラムもおかずがいちいち良い。つーかベースとドラムだけであんな乗せられるなんて。時間とお客が少ないのがもったいない。CDやMP3はないのだろうか。続いてtripioのtrack make live。彼はtrack makeするとき、オーディエンスの感情を刺激することを考えているらしい。今回は、しっかりしたキックにふわふわした感じのラインが乗っていたと思うが、聞いていた人たちはどんな気分にさせられただろうか。僕はこのときジンバックが無性に飲みたくなった。

 ここからダンス3連発だ。まずオーバーオールにボーダーのシャツをあわせていた三人の女の子たち、OserO+によるダンス。この時間にはNEOにも人が溢れていたためか、やたら衣装が目立っていためか、すごい注目度だった。緊張していたようだったが、終始笑顔で、力強くてすっきりした踊りには(個人的には女の子の関西弁という要素も加わり)元気がでた。続くダンス、タローとムーニー、キングゴリラは二つともかなり高度にテクニカルな次元にあり、素人がどうこう言えるものではないが、人間の体を、機械的に動かす、という主題はイタリア未来派の絵画のようだ。人間のからだはあんなに直線を表現できるものなのか。そしてhip hop。crytic のトラックにNBKがラップしていく。無論その全てを覚えているわけではないが、そのフロウとは逆に明るいリリックだった。

そういえば、have no ideasの最良の訳は、彼が歌った「ばかはなおらねえ!」ではないだろうか?

 それらのパフォーマンスの間、ずっとライブペイントしていたのがクロサワモモカである。ここからは、彼女に何を描いたか聞いたわけではないので、僕の解釈になるが、彼女が描き上げたのは、サソリと心臓と足だったはずだ。青緑系の下地に、黄色と白の線。具体的なモチーフに記される赤い丸は、勝手に僕が彼女の特徴だと思っている。描くにあたりいちいちテーマは決めていないらしいので、よりはっきり彼女の身体性が絵に映るだろう。ここから意味を引き出すのはくだらないと思うのでやめておくが、彼女は最後になぜ、足の先を消したのだろうか。ずっと気になっている。そんなこんなでそろそろ終幕が近づいてくる。Shu the atchooによるセッションタイム。ナチュラルバイブスのうちの二人がマイクを握り、客を煽りまくる。イベントはハイテンションで終わった。

・have no ideas読解

まず、この文章はイベントのひとつとして読まれることを期待している。つまり、have no ideasの最後の出し物なわけだ。次に断っておきたいのは、僕の専門は文学であり、音楽やダンスではない、ましてやマジックやキャンドルの出来栄えなどは評価できない、ということ。では何をするかと言えば、have no ideasをひとつの小説的なテクストとみなし、分析し批評することである。簡単にいえば、have no ideasに関して、面白い文章を書くということだ。みんなが得意分野を披露していたんだから、僕にもそれくらい許されていいだろう。

 さて、have no ideasの最大の特徴はライブ性だ。バンドやダンスは無論ライブだが、料理までその場で作っていた。CDやDVDや画集を観るのとは異なり、パフォーマンスを行う身体そのものが、空間のなかに場所を持ってしまう。物理的に存在するということの意義はかなり大きい。

例えば、20世紀のフランスを生きた哲学者、ミシェル・フーコーが『監獄の誕生』で明らかにしたのは、身体を的に調教し更生を強制する権力の構造だ。分かりやすく言えば、学校教育がそれにあたる。みんなで同じことをして評価をつけ、成績の悪い者はより勉強するよう警告され、良く出来ていれば褒められる。なぜ褒められるのか?それはよく調教された証だからだ。この権力の仕組みは、それぞれの人間から、ある一定の共通のコードを設定することを前提としている。例えば、あらゆる生徒たちが見せ合うテストの点数や通知表。同じようでいて決定的にことなる人間たちから、共通の質を引き出して量に換算し比べること。しかし、この作業で失われてしまうものがある。それが身体性だ。どういうことか。

怒られても整列しようとしない者、毎日遅刻してきても反省しない者、学校にいかないでベースばかり弾いている者、授業中に「それどういことですか」といちいち聞かなければ納得しない者、等々。数字に換算されない具体的な抵抗。フーコーも、『監獄の誕生』の最後、こう言っている。「こうした人々の身体に戦いのとどろきを聞かなければならない」。

 無論、夜中にクラブでイベントを行うこと自体、風営法に違反してしまう現在では抵抗の所作であるわけだが、もうひとつ、この「身体のとどろき」を聞くこと。バンド、ダンス、ペイント、様々なものの徹底的なライブ感=身体性こそ、このイベントの最大の意義であると言い切れる。

しかもそれは抵抗だけではなく、ひとつの種でもありうる。なぜか。

少し遠回りして考えてみよう。have no ideasのもうひとつの特徴は、多岐にわたるジャンルの豊富さである。佐々木集が「それぞれやり方で発信してパーティやったらええんちゃいますか」という通り、DJ、バンド、ダンス、ラップ、トラックメイクから、ライブペイント、ライブマジック、キャンドル販売、フードまで、多様な表現方法を保証する一つの場所であることなのだ。どういうことか。

佐々木集がよく口にする「カルチャーculture」という言葉から考えてみよう。日本語では文化や文明と訳される「culture」は、「cultivate=(未開地を)耕す」という語に由来を持っている。つまり未開地を耕し種を植え水をやり育てた結果が文化である。言い換えれば、集が発見した未開地に、我々が持ち寄ったアートの種を植えみんなで育てているわけだ。そしてそれが文化になる。しかし文化はひとつでは成り立たないだろう。それ様々なものの複合体なのだ。ここの多様であることの必要性が浮かび上がってくる。

もちろん、多様であることは、未知のジャンルの経験という役割も大きい。データベース化され便利になった現在の社会のひとつの弊害は、興味のない領域を体験する機会が失われてしまうことだ。つまり自分と好みの会う共同体、集まりのなかでぬくぬくと暮らしていけること。わざわざ、関心の薄いバンドのライブにはいかないし、知らない画家の展覧会には行かないだろう。ひとつの囲われた場所に、いろいろなものが集まっているということは、それだけでもはや貴重なのだ。難しい言葉を使えば、共通のコードを持たない他者と、言語を共有すること。延々と言われてきたことではあるものの、実践することはとても難しい。個人的にも、ダンスを生で見る機会は少なく、かなり興味をそそられた。

こうすればよかったのではないかという反省点も挙げておこうと思う。

なかなか新しいジャンルに出会うことも少ないので、形として残しておきたいと思った。つまり出演者それぞれのCDやDVDなどが配布、販売されていればありがたいのではないか。自作でも構わないし、パフォーマンスが素晴らしければお金も払うだろう。また、良くも悪くも漂っていた、あの全員出演者感も薄れるのではないかと思う。

最後だが、おすすめの書籍を。

・佐々木中『踊れわれわれの夜を、そして世界に朝を迎えよ』河出書房新社2013年

 哲学はどうも嫌われているらしいが、そんなことない、読めばわかる、ということを実感させてくれる一冊。

・リルケ『若き詩人への手紙・若き女性への手紙』新潮文庫1953年

 「若き詩人への手紙」は、アーティストとして生きるならば必読だ。しびれる一節を引用したくなるが、読んでからのお楽しみということにしておこう。

次回を期待して待つ!


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